奇怪で理解しがたい文字列

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「ゼロの執行人」を見た感想を当時のまま上げる

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金曜ロードショーでゼロの執行人ことゼロシコをやるそうなので、自分の保存がてら見た当時の感想をなんとなくアップしようかなと思います

先日データがふっとんだのもあり、いつ消えるか分からん感じだったので…

見た当時(2018年5月)の内容なので、今と情報が違う部分もあるかもしれませんのであんまり信じないでね

いつものことだけど似たようなこと何回も言っててすごく…長いです……

 

 

ゼロシコを見てきました

今回の映画は最近の流れ的にあむろんにフィーチャーされまくった結果コナンくんが活躍しなかったらほんっとにヤダなって思ってたんですけどま~~~~~~~~~~~~杞憂でした

江戸川コナンちょうかっこいいんだけど…えっなにこれ…かっこいい…さすが銀の弾丸

わたしにとって今回の劇場版名探偵コナンってすごく大きな発見がたくさんあって、この映画のおかげで今までのコナン、そしてこれからのコナンをもっと楽しく好きになれるなって思いました

そんなわけで好き勝手まとめます

 

江戸川コナン超かっこいい

これ。ほんとこれに尽きる。めっちゃかっこいい。初めて「コナンくんってこんなにかっこいいんだ」ってきちんと理解した

人としてめちゃくちゃかっこいいなって、正直初めてわかりました

そりゃーもう銀の弾丸ですよ。ベルモットと今なら一緒に酒が飲める。わかる。やっぱり同じ男(ジン)を好きになるだけある。分かってる、ベルモット分かってる

彼は善で光なんだなぁって心から思いました

越前リョーマが天衣無縫の極みに到達したことによって幸村精市がいた暗闇を照らし出し幸村精市を救ったような感動がこの映画には描かれてるんですけどこれでわたしが感じた感動伝わりますか??????

 

降谷零が想像以上にしんどい

今回の映画って「降谷零のことを知っていれば知っているほど悲しくて辛い」映画だと思っていました

それは彼がこのまま自分の正義に縛られて絡め取られて焼き尽くされて死ぬ未来しか見えなかったからです。だって、映画の中の降谷零のありとあらゆるセリフがそっくりそのままスコッチの死の真相を知った降谷零にも当てはまってしまうから

だから思ったよりも零くんキッツーーーー……って思ったんです最初。ずーーーーっと彼は一人じゃないですか。誰にどんな誤解をされても、彼はたった一人でも自分の信じた正義を疑うことなく、揺らぐことなく執行していく

降谷零は警察庁の公安だから警視庁を動かすために警視庁の公安である風見を使うしかないらしいんですが(よくわかってない)、風見ともすれ違いざまとかにしか連絡を取り合わない

ずっと彼は「一人」っていう描写が映画の演出上されていて、誰にも言えないものをたくさん背負って、そしてその胸に身を焦がすような正義を宿していて。誰も本当の彼を知らない悲しさや切なさをどうしても感じてしまう

実際彼が掲げる正義や執行する正義は消えていった仲間たちの分も背負っているんだろう。事実は知らないけど、そう思ってみてしまう部分がどうしてもあります。それもあってしんどさを感じた

でも全部過去形なんですよ。なんでかって?江戸川コナンと出会ったからだよ!

 

「安室さんってさ、彼女いるの?」

今回の映画の肝の部分て「安室さんってさ、彼女いるの?」から始まるセリフの応酬だと思っているんですけど、最初見たときはコナンくん突飛だな~という印象しかなくて、見てから22時間経った今、きちんと意味があるんじゃないかってようやく気付けた

このセリフって「蘭姉ちゃん」や「愛は偉大だね」の仕返しもあると思うけど、「俺は愛のためにやるけど、じゃあ安室さんはなんでそこまでやるの?」っていう意味なんだろうなって。その直前にコナンくんは「愛は偉大だね」という言葉をからかうように安室透になげかけられているから

「愛の力は偉大だな」

あむろんがコナンくんに言う「愛の力は偉大だな」ってセリフを聴いた時全人類どう思ったんだろう?

わたしは「は?お前に愛が分かるのかよ何言ってるんだよ」って正直思ったんですけど、これって普通に考えて江戸川コナンの行動原理は「愛」である】って言えるんですよね

わたしはこのセリフを「共感」ではなく「感心」と捉えたので、現状降谷零の行動原理は愛ではないし、今の彼には愛はわからないと思ったんですね。詳しくは後述しますが、今の彼はほとんど亡霊だと思っている

降谷零には人としての温情はあるけど、「愛」はない。というか、少なくとも行動原理は「愛」ではない。でもコナンくんは「愛」なんですよね

ここでコナンくんと降谷零の行動原理が違うことが分かる

映画で描かれるさまざまな「正義」

今回の映画はさまざまな正義が描かれていて、例えば降谷零が持つ正義は「日本」という大のために自分を含めた小をいくらでも酷使してボロボロにしてもいいというものです(極端に言うとね)

対してコナンくんは探偵なので「真実を明るみにする」ということが一つの正義としてある。そして彼の行動理念は安室さんが指摘しているように「愛」なんですよね

「大切な人」である蘭の不安を取り除きたい、蘭にとって大切な家族であるおっちゃんや英理さんも救いたい。当然日本も守りたい。そういう「大切なもの」のために走り回っている

対して安室透は、薄暗い夜や雨の降る中を一人で動き回っている。人を殺したという誤解をされて、たった一人でボロボロになるまで立ち回って、正義と言うふるいにかけて淡々と自らの正義を執行していく。なんでそこまで?どうしてそこまで?っていう視聴者のまとまらないけどなんとなくずーっと持っていた疑問を全部詰めこんだコナンくんの質問になってるんだなって。いや素晴らしい脚本じゃない?感動した

降谷零の正義ってなに

少なくとも今の降谷零は愛だの恋だのは切り離して生きていると思うんです。エレーナとスコッチは彼の人生にあまりにも大きくかかわっているし、正義や信念もこの二人が大きくかかわっていると思うから

降谷零が「僕の日本」と日本と言葉にしたのは愛国心ではなく「誇り」だと個人的には思っています

赤井のことをFBIと呼ぶのも、FBIだからとツンツンするのも「日本」が彼の誇りだからだと思う。平たく言えばたしかにそれも愛国心といえるんだけど、誇り=プライドであり、降谷零のプライド=降谷零の正義と言えるんじゃないかなと映画を見て思ったんですよね

だから「僕の日本から」 でああいう形相になるのかなって。個人的にだけど、なんとなく「愛国心」ではしっくりこないというか読んでいて自分の感情としてのつじつまが合わないなぁという感覚がずっとあった。でもプライドだと考えると安室透はプライドが高い男だから腑に落ちたんですよね

先述しましたが、彼が警察学校時代の同期の日本を守るという「正義」も背負っているとしたら、余計そのプライドは「警察官」である彼の信念だろうと思うし

そもそも愛国心って「愛」だから、愛国心から彼がご自慢のRX-7バキバキにしてあれだけのアクションをするならば、「愛の力は偉大だな」なんて言葉出てこないんじゃないかなって思うんですよ。愛国心だったら共感やいっそ呆れのような響きになるんじゃないかと思うけど、純粋な感心に思えたから

 

【金ロ見た後の追記】やっぱり今回の金ロを見ていても、最初の方はあんまり印象変わらないなぁと思っていたんですけど、当時感じていたよりもずっと「愛の力は偉大だな」が素直に聞こえたから、これは本当に彼の素直な言葉だったんじゃないかなって思った。降谷零にガン飛ばすような気合で映画を見ていたからそう感じたのかな。あとはやっぱり漫画の表情にずっと引っかかっていたからだと思う

それで、彼がなぜ日本を守るのかについてだけど、やっぱり「愛はの力は偉大だな」のあとのコナンくんの質問で、彼は自分でも気づいていなかったかもしれないものが見えたんじゃないかなって思った。自分で言ったセリフにハッとした感じというか、やっぱり彼が必死に守るその姿を愛というなら、自分が日本を守るのもまた愛だろう。みたいな感覚を持った?のかなぁって。だからふっとした表情を見せるのかなって。その上でわたし個人が感じたのは、やっぱり彼にとって日本という国を守ることは「信念」なんだなって。信念でもあって、だからそれがたぶん誇りでもある。やっぱり警察学校のみんなの気持ちを背負っていると思うから。赤井秀一と降谷零は何かを守るという信念の強さも共鳴し合っているんだろうなって思いました。根っこも真ん中も似ているからこそぶつかり合う力も強いし、反発するときの力も強いし、だれよりも何よりも相手のことが分かるんだよな。結論としては、降谷零は自分が持っている愛に改めて気づいた。あるいは改めて出会った。って感じかなぁ…わたしのなかで出た結論はな!

 

​降谷零は亡霊

映画で描かれているあれが今の『降谷零』だと思うんですよね。ゼロだった頃の本来の降谷零くんは今はもう存在してない。だから彼はスコッチの死や赤井秀一やエレーナや公安としての正義に生きる降谷零で亡霊

降谷零の中で正義ではなく善悪や感情に揺れる部分があるとしたら、それは『安室透』で得た部分だろう、というのもまた円環してきて面白い

降谷零は正直過去に生きているし、彼を生かしているのは赤井秀一、バーボンを動かしているのはスコッチ、安室透は降谷零にある一筋の光であり唯一の未来で、それを繋いでいるのが江戸川コナンなんだな~と思った映画だった

降谷零の今の人生

降谷零にとってスコッチは同僚である以上に幼馴染、そして恐らくスコッチが今の降谷零の人生の7割くらいを握っているじゃないですか

それもあって、今の降谷零の人生は降谷零が主役ではなくて、降谷零が掲げる正義が主役なので、彼は自分が掲げる正義から外れる存在は自分であろうと断罪の対象になる危うさがある…ということがとにかく画面から伝わってくるからしんどくてしょうがないわけですよ。だって読者は知ってるもんスコッチの死の真相

それでこの映画みたいな正義正義!を見せられるとお前それ確実にダメなやるだよってなるよ…なるもん…心配だよ

もちろんここは赤井秀一と降谷零の関係に大きくかかわってくるわけですが、それも今回の映画でなるほどそういうことなのねって自分の中で納得できるものがありました

 

降谷零と赤井秀一

わたしは割に原作軸原作至上主義の原理主義系女の部分があるので、ここがカプ的にはやや苦手だったりします。それは萌えないから苦手なのではなく、今の時間軸の原作においてこの二人がくっつくことは信念をもって生きているところがかっこいいキャラクターの信念と人生をぶっ殺しかねないと思ってしまうからです(でも幸せになってほしいからっていうのすっごいわかるほんとわかるとてもわかる)

↑の話いる?って感じかもしれないけど今回の映画でここがすっきりしたんですよ

降谷零の赤井秀一に対する怒り

これはハッキリ「どうして赤井秀一ほどの男がスコッチを見殺しにしたのか」という憤りだと言われていた気がするんですけど、正直言葉として意味はわかるんだけど、そんな殺したいほど憎む感情的な意味まではわからなくて

でも映画から降谷零を組み立てていくと、この時の彼の怒りがどれほどのものなのかっていうのが見えてきた気がしたんですね

降谷零にとっての「正義」と映画で明かされた「自分以上に怖いと思う二人の存在(コナンと赤井秀一)」を考えると、プライドが高い降谷零が赤井秀一のことをとてつもなく認めているっていう事実に改めてぶちあたる。言い換えれば降谷零の憤りって赤井に対するどうして!なんで!って感情とも言えるわけで

降谷零はいつまでも「なぜ赤井がスコッチを殺した(ように見せた)のかが分からない」んですよね。自慢の頭脳をもってしてもわからない。だから余計怒りが募る。わからないことだらけのくやしさもあるだろうし、何よりも、認めている男が降谷零の正義には反している(ようにしか見えていない)

自分まで燃やし尽くすような正義で生きている降谷零からしたらこんなの本当に気が狂うレベルだと思うんですよね。降谷零は正義で赤井を裁いているから

想像しただけで自分もめらめら怒りがこみあげてきて泣きそうになった。降谷零は胸の奥にこんなにもジリジリと焦げ付くような感情を持っているのかと思うと沖矢昴へのサイコパス絡みも納得できるというものです…そらサウスポーみんな殺したくなっちゃうよね

降谷零、あまりにも感情がデカい

「降谷零の一人称は『俺』なのにそれは『赤井秀一の前でしか出ない』」という設定があるって青山先生が言っていたと思うんですけど、それもそうだろうなぁって

赤井のことを許せないのかもしれないし悔しいのかもしれないし馬鹿にされていると感じたのかもしれないし、なによりも信用されていないように感じて悲しいのかもしれないし、たぶん全部なんじゃないかなって思うんですよね

赤井秀一への降谷零の感情って、人間が持っている感情全部をミキサーにかけたようなもんだろうから、ぐらぐらと燃え上がる何かと胸を締め付ける何かが同居して正気でいられず「彼の前でのみ取り繕うことが出来ない」というのもわかりますし、赤井だけが生身の降谷零をむき出しにするから弱みが赤井秀一になるってことだから…本当にねぇ…!

赤井秀一がなぜ降谷零にうそをつき続けるのか

これもたしか「そうすることで守っている」って言われてたような気がするんだけどわたしの妄想ですか?事実ですか?すべてがあいまいです

でもそうだとしたら本当にその通りだなって。だって降谷零は大きすぎる正義感のために暴走してしまう可能性があるし、その特性は前述したように「スコッチの死の真相」を知った時あまりにも怖い。何がどうなるか分からない想像するだけで怖い。ハッピーな妄想できる?絶対できない

赤井秀一にとって確かあむろんは護るべき存在って言われてるってなんかで見た気がするし(妄想だったらすまねえ)、赤井秀一にとって「護る」というのはこれまた大切な意味がありますよね

お互いの正義や信念が強いからこそ、この二人はねじれながらも強烈な引力で結び付けられているんだろうなぁと思うんです。そしてこの二人を光に導く存在は何かって江戸川コナンですよ

何がしんどいって

降谷零は赤井秀一に向けている憤りをそっくりそのまま自分にも持っていそうなこと

「赤井ほどの男が」も「それを見抜けない自分」にも「何も明かさない赤井」にも全部に多分キレてるし、その怒りが全部赤井への信頼が混ざった憎しみとごっちゃになってるからこその殺意やあの目つき、そしてあの怒りなんだなぁと

また、それを見抜けない赤井秀一ではない。だからこの二人の関係はこのままなんだなって自分の中でしっくりきたんだよな~~~

赤井への怒りはそっくりそのまま丸ごと全部自分への怒りだし、赤井を許せない感情も同じく自分を許せないものなんだろうと思ってしまう。降谷零が赤井に向けている銃口は自分にも向いている

知らんけどさ~~~~知らんけどいつまでも回収されない赤井とあむろんが銃向け合ってるやつあるじゃん?あれが本当にああなんだろうなって…知らんけど。ほんとにただの作中のワンシーンかも知らんけどさ~~~~何なの君らedge?このままずっと行くのね嘘を積み重ねてもこの道を二度と戻ることはできない?????安室透たしかに黄昏の静けさをもう一度見つけるために歩いてる感ある……ある…?わかんないけどedgeと安室透は滾る

 

安室透という存在

この安室透という存在に関しては全体的にわたしの希望的観測と妄想が入っているんですけど、たぶん「安室透」って公安であるがゆえに自由に動き回れない降谷零が探偵として情報収集する駒の一つじゃないですか

江戸川コナンに出会うまでは本当にそれだけだったと思うんです

でも江戸川コナンに出会った安室透って、絶対コナンに出会う前と後で意味が違うし存在価値が全然違うと思う。思いたい。いやそうでしょぜったいそう。そうだと言って

降谷零は公安の人間だから降谷零として気楽に生きることはできないうえにバーボンという組織の顔も持っている

コナンくんに出会う前の安室透がどうだったかは知らないけど、降谷零やバーボンが薄暗い世界、それこそゼロシコでずっと描かれていたような「夜明け前」のような薄闇にいるとしたら、今の安室透は絶対に光の中にいると思うんですね

それは他でもない江戸川コナンと出会ったから。映画の演出にもあったように江戸川コナンは夜明けの光のような存在で、彼を照らし出す一条の光でもあると思うんです

江戸川コナンと降谷零

映画を見たからより強く感じるんですけど、江戸川コナンと出会っていない降谷零」「安室透として偶然江戸川コナンに出会った過去を持つ未来の降谷零」ってどーーーーーーーーーーーーーーーーーー考えても違くないですか?

映画でこれだけコナンくんと降谷零はアプローチが違って、「(大切な人がいるから)日本を守る」という大目標が同じだけ…のような描かれ方をしているなぁって個人的に思ったんです

なんなら降谷零はIOTテロだと気づいたコナンの推理をさらりと利用しているし、極端に言うなら求められる結果に辿り着くためには花畑も踏み荒らして進む子で、結果がそこにあるなら多少の犠牲を伴う手段を是としている。本人の感情がどこにあるかはわかりませんが、結果として、そういう風にとらえられても問題ないと判断し行動している。コナンはそれを良しとしていない。そういう二人の違いをず~っと細かく見せられ続ける

これはほとんど妄想ですけど、降谷零は小五郎のおっちゃんを利用することに少し心を痛めているように見えるじゃないですか。これ、今までの降谷零ってそんなことなかったんじゃないかな?って思ったんですよ。痛めてても表情とかには出さないで一人でうまくやるんじゃないかなって。まあ彼を描いている映画だから描かれてるのかもしれないし何とも言えないけど

スコッチがいたころの降谷零(ゼロと呼びます)は、多分もう少し青臭い正義に燃えるような子だったんだろうなってなんとなく思うけど(妄想だよ)、スコッチがいなくなってからの降谷零はそんなに心を痛めないんじゃないかなって。背負うものが増えたことと、明確な目的のためにわきめもふれないだろうから

でも今回の映画では焦りも見せるし、わざとらしくポアロの前を掃除してコナンくんに本気の推理をするようにけしかけたりもしている

それは利用価値があるのもそうだけど、はやく救ってほしいからもあるだろうし、コナンくんたちに失望されるのが嫌みたいな感情もあるんじゃないかなぁと思った。これは願望

そういう自分を止めてほしいだとか理解してほしいみたいな女々しい感情は多分持っていないと思うし、降谷零は常に正義から見て正義を正しく遂行するために動いているから多少の孤独や誤解なんてどうでもいいとさえ思ってるんじゃないかと思うけど、「脅威に感じている」一人でもあって、素直に「すごいなぁ」という言葉をこぼすくらい認めている人間に失望されるかもしれないっていうのはまともな人間としてどぎついものがありますよね

江戸川コナンと安室透

この映画って江戸川コナンが本当に善性に振り切った人間であること、降谷零は淡々と正義を執行する人間であることの対比が強く描かれている中で、じゃあ自分たちが普段見ている安室透は…?って思ったときに、間違いなくコナンくんが安室透を通して降谷零を光に導いているんですよ

その実感が出来るから銀の弾丸…!ってなったし江戸川コナンが超かっこいい映画だ…!と思った

わたしが映画を見て初めて泣いたのは、エンディングであむろんがハムサンドを毛利探偵事務所に差し入れに来た時の笑顔なんですが、どうしようもないくらいそこで泣けてしまって

ず~っとしんどい降谷零を見続けていたから安室透の笑顔を見て悲しさが際立ったのもあるんですけど、「『安室透』はその笑顔が出来る」っていうことに本当に涙が溢れた

嘘のない笑顔を向けられる存在がコナンくんによって作られていることもそうだし、降谷零だと触れられない「日本国民の幸せな日常」を、少年探偵団やポアロを通じて彼は身近に感じられるんですよ。それはきっと降谷零にとって幸せなことだと思うし、そうなると江戸川コナンと出会った安室透はすごく輝くんですよ…

アニメ前日譚の最後にコナンくんが言った「事件よりもケーキ作りを楽しんでいた『安室さん』」という言葉にも意味を見出したいし、わたしはこの「安室透」を信じたいと思ったんじゃよ

ただの駒じゃなくて、「安室透も悪くない」って思っていてほしいなってすごく思った映画だったし、降谷零にとって安室透が幸せな存在であるといいなと心から思います

 

 

まだ1回しか見てないからもう何回か見たらまた違う考えになるとも思うけど!

でも初めて【降谷零】【赤井秀一への憤り】【江戸川コナンという銀の弾丸】【すべてを受け入れることで守る赤井秀一】【赤井の前でだけ感情がむき出しになる降谷零】とか、いろんなものがスッッッッキリわかって、気持ちがよかった

とにかくいろいろ考えられるコナンで大好きな劇場版でした

 

それにしても組織は常にめっちゃ顔突き合わせて話してて本当に大丈夫なんですかね?世界的犯罪組織ですよね彼ら。ガバガバすぎない?心配ですよ。逆に顔突き合わせることによってお互いいつでも殺せるからなって牽制し合ってるとか?組織のことよくわからない

 

 

おわり

…………………………

今見ると彼の行動原理とかそうかな?って思う部分もあったりもしますが、そんなに考えとしては変わっていない気がします

ただ、「愛は偉大だね」が共感なのか感心なのかの違いによってガラッと変わるなぁと思いました

この時はただの感心にすぎないでしょって思ってたから愛(国心)<誇りという風に見ていますが、蘭姉ちゃんの愛のために命を懸けるコナンくんをみて、自分がここまで命を懸けるのは日本という国を愛しているから→「僕の恋人はこの国さ」になるとした場合、やっぱりそこにあるのは紛れもなく愛国心だろうから、ここの読み違いが当時はあったのかなぁっていう気も…するけど読み違いも何も答えはないからな~~~!!!!!

ただ、「プライド」だったものがコナンくんによって「愛」に変わったのかもしれないなぁとは思う

正直忘れてるし覚えてないです、いやほんとに88231しか覚えてない。今でもゼロシコの感想話すと絶対88231の話しちゃうもん。ただ当時のわたしはそう感じたんだなって思いました

何はともあれ金ロで見るの楽しみ~! 

 

 

 

あとどうでもいいんですが今回はじめて厚塗り(自分の中では)をしてみました。ど~してもプロクリエイトのぼかしが丸のままぼかしてにじませられないので、ぼかすとぶにょぶにょするのが気になりますが、それがなければ1つのレイヤーで色塗りするのって楽ですね

もう少し練習してみたいなぁと思いました